プロ野球・読売ジャイアンツそして北海道日本ハムファイターズで活躍した二岡智宏選手(37)が9日現役引退を明らかにしました。
二岡選手は
『ジャイアンツで10年ファイターズで5年間たくさんの人に支えられて15年間の野球生活を全うできたと思います。
ありがとうございました』
と話しました。
二岡選手はスケールの大きなバッティングを武器に1998年のドラフトでジャイアンツを逆指名して球界入りしました。
入団したジャイアンツでは長嶋茂雄監督(77)の熱い指導のもとで才能が開花しました。
1999年2月の宮崎キャンプで長嶋監督は
「(二岡選手は)全体的に柔らかな体のこなしがありますよね」
と話していました。
松井秀喜・清原和博両選手ら球界屈指のスラッガーの中で状況に応じて左右を柔軟に打ち分ける巧みなバットコントロールでレギュラーの座をものにしました。
どんな局面でもポーカーフェースで打開してみせる静かなる男。
2000年にはリーグ優勝の懸かった試合でサヨナラホームランを決めるなど長嶋巨人の不動のメンバーとなりました。
二岡選手は
『(印象に残る場面は?)2000年のジャイアンツが優勝を決めた時もありますがあの時は何が何だかわからずに...っていう感じでしたね』
と語りました。
また、2002年埼玉西武ライオンズとの日本シリーズではシリーズ史上初となる3試合連続猛打賞をマークするなどチームの核としてジャイアンツを日本一に導き日本シリーズMVPに輝きました。
2008年にはジャイアンツの選手会長に就任。
しかし、右足肉離れで戦線を離脱しファームでの長い調整生活が続いたある夜深夜まで飲食する姿を目撃されてしまいます。
「巨人選手は紳士であれ」と徹底されていたはずのジャイアンツ選手の鉄のおきて。
反省の意を込め頭を丸めて1軍に復帰しました。
二岡選手は
『関係者の皆様にご迷惑をかけたことをあらためておわびします。
申し訳ございませんでした』
と謝罪しました。
しかし、その後の2008年11月ジャイアンツ球団史上異例のトレード移籍。
選手会長の任期中にファイターズへ移籍となりました。
二岡選手は北の大地で背番号も「7」から「23」に変え心機一転ファイターズで新たな野球人生を踏み出しました。
経験と技術を生かした代打の切り札としてリーグ優勝にも貢献しました。
プロ生活15年波乱の野球人生を振り返った二岡選手は「完全燃焼できたと思っています」と話しました。
二岡さんもついに引退ですかw(゜o゜)w
波瀾万丈な野球人生でしたがジャイアンツでの勝負強い打撃等良い打者でしたよね
ジャイアンツでも日ハムでも存在感を示した打者だったと思います
今まで、お疲れ様でしたm(__)m
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二岡智宏選手が現役引退会見 波瀾万丈の野球人生を振り返り「完全燃焼出来ました」
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