悲しみを背負いながら前を向く。
東日本大震災から3回目の3月11日が巡ってきました。
復興は思うように進まず福島第1原発事故は今なお故郷を人々から遠ざけます。
「つらさはある。
でも進まなきゃ」
「必ず道は開ける」。
被災地では鎮魂の祈りとともに決意を新たにする姿がありました。
被災地では復興の槌音が響く一方でいまだに帰宅がかなわない被災者も多い。ここでは、宮城岩手福島3県被災者等の現在等をお伝えします。
≪宮城≫
■今日が勝負毎日を大切に
岩沼市の仮設住宅の一角で大判焼き屋台を営む森末子さん(68)
『仮設で屋台を出していると昔なじみのお客さんが来てくれてうれしい。
住んでいた場所には戻れないけど前を向きたい』
名取市の主婦伊藤勝子さん(74)
『仮設住宅を出るめどが立ちました。
閖上に住んでいましたが友人も亡くし震災を思いだすので戻りたくない』
多賀城市の主婦星千比呂さん(31)
『3人の娘は震災後は落ち着かない様子だったけど今は元気に走り回っています。
子供の成長が何よりも楽しみ』
女川町の会社役員鈴木忠吉さん(81)
『亡くなった人たちのことを考えると毎日『今日が勝負だ』というつもりで大切に生きなければと思っています』
女川町の無職阿部久一さん(78)
『女川の復興はまだまだ。
仮設から出られる予定もない。
一日も早く元の生活にもどれる日を待ってます』
◇
≪岩手≫
■意地でもここで生きていく
宮古市の主婦加藤文子さん(76)
『仮設住宅の友達と手織りで布を編んでいます。
あの日『船が心配だ』と言ったお父さんは戻ってきていません。
それでもここで再出発します』
陸前高田市の主婦菅野裕子さん(36)
『4月から新しい生活が始まります。
仮設を出られるのはうれしいけれど内陸部に居を移すのは少し申し訳ない気持ちです』
大船渡市の会社員村上浩平さん(33)
『子供を地元で育てようと盛岡からUターンした直後に震災に遭いました。
親類や友人を亡くしつらいけど子供のことを思えば耐えられる。
意地でもここで生きていく』
釜石市の無職小山政彦さん(82)
『仮設暮らしはもう3年。
昨年初めに妻を亡くし今は1人です。
若い時漁に出ると数カ月に数日しか帰れなかったあの家が懐かしい』
山田町の町立山田北小3年、真田優佳ちゃん(9)
『震災直後に入学して今年4年生になります。
同級生は9人で全校生徒は67人。
体育が得意です。
仮設は狭いのでもっと体を動かして遊べる場所が増えてほしい』
◇
≪福島≫
■元気な福島見てもらいたい
飯舘村から川俣町に避難した会社員五百川広栄(いおかわ・ひろえ)さん(58)
『気持ちが揺れた3年間。
地元に廃棄物の焼却炉ができるので帰れないと覚悟している』
郡山市の高校1年本名未夢(みゆ)さん(16)
『東電や国は最初から本当のことを言ってほしい。
福島がのけ者になっていると感じることがある。
元気な福島を見てもらいたい』
飯舘村から伊達市に避難した会社員菅野春枝さん(50)
『帰ることを諦めました。
孫との暮らしを考えたら新しい生活を始めたい』
南相馬市小高区から鹿島区に避難した自営業谷地茂一さん(66)
『鮮魚店をしていたが避難してからは仮設住宅などを回る移動販売をして前向きに生活している。
やはり働いているのが一番いい』
郡山市の主婦熊田俊子さん(66)
『震災後、息子が仕事を変えたり自宅が壊れたり生活が変わりました。
県外の人はもう忘れているのかなと思うこともある。
忘れてほしくない』
あの東日本大震災から今日で3年が経ちました
もう、3年もなるのかという思いを感じますが3年経っても未だに帰宅する事が叶わない人達がいる事がこの3県の被災者達の現代の声を聞いてもわかると思います
岩手県の方の声では子供の為にも意地でもここで生きていくと語ってる方がいました この、被災者の中では今もあの地震の被害と共に闘い続けてる人達が今もたくさんいます
あれから3年になりますが今も1日1日を生きていくのが大変な人達がいます 福島県の方が言ってた様にもう3年もなると県外の人は忘れてる人もいるかもしれないです 只、忘れてほしくないと語った様にこれだけの被害を及ぼしたこの災害は忘れてはいけない事だし改めて1日も早い復興が起きる事を祈っていかなくちゃと思います
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東日本大震災から3年 宮城/岩手/福島 3県被災者の声
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